【過去編①】ヨーロッパ周遊3週間貧乏の旅!アエロフロートで初海外旅行出発編!
こんばんは!
今回は趣向を変えて、私の初海外旅行の様子をお伝えしようと思います。
初海外旅行は19歳の時。旅の概要。
時は2011年9月。当時大学2年だった私と、地元の同級生との2人でヨーロッパを巡ってきました。
出発前に「成田→(モスクワ経由)ヒースロー」、「ベルリンのシェーネフェルト→(モスクワ経由)成田」のアエロフロート便を購入。ロンドンでの宿は出発前に予約。
それ以外は全部ノープラン!
つまり、 旅程は決めず、宿や帰りの空港までの交通手段は全部現地調達する!という旅でした。
結果として、ざっくりとした旅程としては、
ロンドン→パリ→バルセロナ→パリ→ベルリン
というものになり、無事に帰国することが出来ました。
総費用は航空券代含め30万円。また、航空券代は確か1人往復15万円程だったと思います。安さを追求した結果、アエロフロート・ロシア航空を利用しての旅となりました。
更に、3週間を宿代、現地交通費含めて15万円で生き延びなければなりませんでしたので、出来るだけ安い宿!安い食事!みたいな旅になりました。
宿はユースホステル、食事はスーパーマーケットで調達するか、日本にもあるファーストフード等が中心となりました。余計な出費はご法度なシビアな旅です。
時期は9月。大学は9月いっぱいまでの長い夏休み期間中ですので、良いタイミングでした。大学2年生の時なんて、相当時間を持て余していたような気がします。
当時の状況と旅の動機
旅行に行ったきっかけは、一緒に行った友人からの誘いによるものです。その友人と私とは高校まで一緒だった同級生で、大学は別々の場所に進学していました。
大学進学後もスカイプ等を利用して時々やり取りをするような仲だったのですが、あるとき、友人の方から、
「10代最後の夏に、何か面白いことやらないか!?」
と、提案があったのです。
当時、私も友人も、いわゆる大学デビューに失敗しており、現状に対する何かしらの不満があったんだと思います。
そんな現状を打破するべく、面白いことをやって、心機一転するぞ!価値観変えるぞ!みたいな、結局のところは至極安直な「学生のノリ」みたいなものでしたね。
それから色々と話しているうちに、「ヨーロッパに行きたい!」ということになりました。死ぬまでに一度はヨーロッパに行ってみたい!という憧れは抱いていましたし、それから二人ともハリーポッターファンというのもありました。
その年の夏休みに向けて、アルバイトに励みました。旅行資金に関しての目標が具体的に定まってからは、自然と毎日が楽しくなったのを覚えています。
出発!人生初フライトからロンドン到着まで。
旅行当日。人生初のフライトは成田空港までの乗り継ぎに利用したスカイマーク便ということになりました。
成田空港の国際線に乗ります。ここで友人とも合流。
ラウンジなんて入れない(そもそも存在すら知らない)ので、展望デッキに上がって搭乗までの時間を過ごしていました。
ポンドにも両替をしておきます。
いよいよ搭乗。
機内はこんな感じ。写真を撮っていなかったことが悔やまれますが、ロシアのCAさんが、皆さんもの凄く迫力があったということを鮮明に覚えています。スケールが違いました。
写真を見返す限り、乗り継ぎのモスクワまで2回機内食が出たようです。内一枚だけピントが合ってました。
今見返してみるとあんまり美味しそうじゃないのですが、初の「機内食」というものに2人で興奮して、うまいうまい言いながら食べていたのを覚えています。
モスクワに到着。ということで人生初海外はロシアということになりました。
免税店を通り抜け、ひたすら次の搭乗を待ちます。具体的には覚えていませんが、相当な時間待っていました。
乗り継いでロンドンはヒースローに向かいます。
到着。
ここで予約していたホステルに地下鉄で向かう予定だったのですが、
時刻は11時。どの切符をどうやって買って、どの電車に乗って行けば良いのか、何が何だかさっぱり分かりません。事前の情報収集不足でしたね。
周りに聞ける人もいません。機内食のテンションはどこへやら。寒さもあって非常にひもじかったです…
その後、なんとか目的の電車に乗り込み、乗り換え先のビクトリア駅まで来ました。(途中、友人が切符を紛失するアクシデントも。車内で切符の確認に来た方は優しい対応で、お咎めなしでした。)
しかし、時刻は12時を過ぎ、ここで無念の終電逃し・・・。
ホステルに連絡をして、車で迎えに来てもらうことに。(ホテルの方は日本人。日本語が通じたのは幸いでしたが、車を手配した出費が痛かったです。)車を待つ間、駅の構内を見て回りました。
建築のデザインの随所に、いかにもヨーロッパ!という印象を受けますね。本当に来たんだな~と、実感が湧きました。
もう我々以外は誰もいません。
待つこと30分。ホステルの日本人の方に迎えに来ていただきました。
土地勘のある日本人が来てくれたということで、ものすごくホッとしたのを覚えています。
車で宿泊先へ向かいます。車内からの様子を記録していました。
出歩いている人が少なく、車内ではありますが、正直なところ結構怖かったですね。
ヨーロッパって、もっとこう…煌びやかな夜を想像していたのですが、実際に見てみないと分からないもんだな、と思いました。
途中、ホステルの方の計らいで、ライトアップされたタワーブリッジに寄っていただけました。本物に感動しました。
この時、2人の記念写真も撮っていただき、この旅一番の思い出の一枚です。
というのも、3週間周遊しながらも旅の中で2人が写ってる写真を撮ったのがここだけなんですよね。当時の能力では、他の人に日本語以外で写真をお願いするのが難しかったようです。
そんなこんなでホステル到着。ここでようやく一息つきました。
写真は翌朝。こんな感じで狭い4人部屋です。ここでは他の日本人の方とも知り合うことが出来ました。
今回は以上。不定期更新しようと思います。
思い返してみると、なんとも前途多難な幕開けとなりました。家族もいることですし、今後こういった無茶な旅程は絶対に組まないでしょうね。
1度始めてしまった以上、旅の記録も兼ねて不定期ながら最後まで更新していく予定です。
今後とも、本ブログをどうぞよろしくお願い申し上げます。
本日は以上です。ご覧いただき、ありがとうございました!
(2/9)続きました